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2010.02/08 [Mon]
【4】厩舎と馬術部
こんばんは。神州男児です。
第4回、キャンパス紹介をいたします!
今回は「国指定重要文化財」の一つ、「厩舎」をご紹介しましょう。

厩舎(きゅうしゃ)は、明治41年(1908年)に建てられた木造平屋で、都心に残る数少ない明治期建設の現役厩舎です。
そもそも学習院では、武課教育として「馬術」を正規の授業に取り入れていた時期があったのです。
以下に、学習院と馬術の歴史を簡単にまとめてみました。
《明治12年(1879年)》
「馬術開業式」より始まる。
《明治23年(1890年)》
中等学科・高等学科(現在の中等科・高等科)の教科として「武課」が設けられ、乗馬がその一科目に定められる。
《大正時代》
大正3年(1914年)、乗馬が正規授業から外され、「馬術部」の名称がこの頃から使われるようになる。
大正14年(1925年)、全日本乗馬大会の障碍飛越競技で、高等科3年の小原譲二郎が優勝。
《昭和時代》
昭和2年(1927年)には、習志野乗馬会の学生障碍飛越競技で3年連続個人優勝。
昭和6年(1931年)には、東京帝大主催の競技会で4回優勝。
昭和9年(1934年)の関東学生馬術争覇戦では初出場で優勝し、翌年(1935年)も連続優勝。
昭和13年(1938年)から行われた関東学生馬場馬術競技会では、第三回大会まで連続優勝。
このように、学習院では「ノブレス・オブリージュ」(高貴なる義務)の名のもとに、皇族・華族への馬術教育が盛んに行われ、日本国内の馬術普及に大きく貢献しました。
また、上記のような輝かしい成績も多数残しています。
学習院高等科にご在学中でいらした天皇陛下(当時、皇太子殿下)も、実は馬術部に3年間在籍されていました。
そして陛下は、主将として昭和26年(1951年)に関東リーグ選に出場され、見事優勝を果たされます。
学習院と馬術は、切っても切れない関係だといっても過言ではありません。
学習院馬術部のOB会「桜鞍会(おうあんかい)」の役員の顔ぶれも、
顧問…川嶋辰彦(秋篠宮妃殿下の父君、経済学部教授)
理事…東園基政(明治天皇曾孫、母君が北白川宮家出身)
と錚々たるものです。
学習院大学のキャンパスの外れにたたずむ、厩舎。
130年前に想いを馳せ、馬を愛でる心を育ませてくれるこの文化財を、一度ご覧になってはいかがでしょうか。
それでは、ごきげんよう。
2010.02/04 [Thu]
陛下の御不例と民主党
こんばんは。神州男児です。
畏れ多くも、天皇陛下におかせられては、御不例(ごふれい、ご体調が勝れない)でいらっしゃるとの報道がございました。
以下は、宮内庁のホームページからの引用です。
天皇陛下のご体調について天皇陛下は,本日午前10時40分ごろ,御所においてご気分が悪くなられ,そのままお床に着かれており,明日からの葉山御用邸への行幸啓はお取りやめになります。
天皇陛下は,一昨日より「のど」のお痛みなど風邪のご症状があり,さらに本日未明には急性腸炎様の状態となられました。不眠に重ね,脱水症状もみられ,今週末まで御所にてご静養になられます。
なお,このご静養は,葉山ご滞在が予定されていた期間に当たりますので,ご公務のキャンセル等はありませんが,今夜の閣議後のご公務については,予定通り御所においてこれを行われます。
平成22年2月2日:皇室医務主管
(参考:http://www.kunaicho.go.jp/)
陛下は御年76歳のご高齢にも関わらず、国事行為、宮中祭祀、地方巡業など、多忙な毎日を過ごされています。
皆さんは、昨年(平成21年)12月15日に民主党の意向によって実現した、天皇陛下と中国・習近平(しゅうきんぺい)副主席との会見を覚えていますか?
自民党時代に決まったこととはいえ、陛下のご体調を考慮した上での政府の共通認識であった「1ヶ月ルール」(外国要人との会見について、1ヶ月以内に申し込まれたものは全て断る)をいとも簡単に破り、民主党はいわば、陛下に「中国副主席に会っていらして下さい」と要求したわけです。
この「1ヶ月ルール」は、陛下のご体調のことが第一の理由ですが、その他にも、「1ヶ月以内に申し込まれたものは全て断りますが、逆にそれ以前なら全て引き受けますよ」という、他国を平等に扱われようとする陛下のご配慮もあるのです。
そのルールを破り、陛下と中国副主席とを会わせようとする行為は、「政府が中国のみを優遇する」=「天皇の政治利用」と非難されても仕方ない悪行であると、私は思います。
民主党の政治家たちの意見は、以下のとおりです。
1・鳩山由紀夫首相
「杓子(しやくし)定規に考えるより、本当に大事な方であれば、天皇陛下のお体が一番だが、その中で許す限りお会いになって頂く。それは、日中関係をさらに未来的に発展させるために大変大きな意味がある。判断は間違ってなかった」
2・渡辺周総務副大臣
「天皇陛下の政治利用と思われるようなことを(政府が)要請したのは誠に遺憾だ」
「今からでもやめていいなら、やめた方がいい。国の大小、経済力、政治力の大きさで優劣をつけることは絶対あってはいけない」
3・小沢一郎幹事長
「30日ルールって誰が作ったの?法律で決まっているわけでも何でもないでしょ、んなもの。それはそれとして君は日本国憲法を読んでるかね?天皇の行為はなんて書いてある?」
「天皇陛下の国事行為は、国民の選んだ内閣の助言と承認で行われるんだよ。それが日本国憲法の理念であり本旨だ」
「天皇陛下のお体、体調がすぐれないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか」
「天皇陛下の国事行為は内閣の助言と承認で行うことだ。それを政治利用だとかいったら天皇陛下、何もできないじゃない。内閣に助言も承認も求めないで、天 皇 陛 下 が 勝 手 に や ん の ?」
(参考:MSN産経ニュース)
これらの発言を見てみると、2の総務副大臣などは政府・首相の行為について苦言を呈していますが、問題なのは鳩山首相と小沢幹事長の発言。
不適切な内容が多々見受けられるのと同時に、彼らが「天皇の会見」の意義を何もわかっていないことが明らかです。
「天皇の会見」は、政治と乖離した上で各国同士の友好を深めるべく、諸外国の王族・政府要人とお会いすることを目的とした陛下ご自身のご好意です。
ですから、内閣の助言・承認のもとで行われる、本来の「国事行為」とは似て非なるものであり、決して政府が陛下に「要請」すべきものではないのです。
民主党のこのような認識不足が、陛下のご負担を増やし、精神的なご苦労をかけることに繋がっているのが、嘆かわしくて仕方ありません。
本年、平成22年(2010年)は、神武天皇が日本国を建国されてから2670年目にあたります。(『古事記』『日本書紀』による)
10年ごとの節目で考えれば、今年は記念すべき年といえるはずであるのに、2月11日の「建国記念の日」を前に、天皇陛下がご体調を崩されたことは国民として胸がはりさけそうな想いです。
一日も早い、陛下のご快癒をお祈り申し上げます。
2010.01/23 [Sat]
学年末試験!
お久しぶりです。神州男児です。
12月は応援団吹奏楽部の定期演奏会やアルバイト、1月は応援団の幹部交代式や学年末試験があり、大忙しでした(^ー^;)
しかし、そんな忙しい日々はもう終わりです!
今日の一限のテストで、学年末試験がすべて終わりました(゚∀゚)!!
今年も去年同様、試験期間が2週間設けられているのに、一週目に全部の試験が集まっていているというスケジュール…。
しかも、1年生の時と同じく9科目もあったので大変でした…orz
それでは、一週間の試験をまとめてみましょう(´∀`)
《18日(月)》
2限:現代日本語研究4
日本語教育に関連して、異文化や非言語コミュニケーションについて考える授業。夏休みには、区役所で在日外国人の調査をする宿題が出たりもしました。
テストは8題中4題の論述で、
「Pタイム・Mタイム」
「Uカーブ・Wカーブ仮説」
「ジョハリの窓」
「高コンテキスト文化」
を選択して答えました。
《19日(火)》
テスト無し。
《20日(水)》
1限:日本語学概論
敬愛するM先生の授業。
これは1年次の「日本文法」の内容を発展させ、さらに言語学・音声学の分野も含めたような授業で、難しい&朝早いながらも一年間楽しく学べました。
毎回M先生の授業では、興味のある分野ということでトップの成績をとることを目指しておりましたが、前回のテストは98点。惜しくも2位…。
ですので、前回の雪辱を果たすべくしっかり勉強しました。
2限:日本語教授法1
外国人(日本語を母語としない人)への日本語教育を考える授業。
後期は、「教授法」の種類や教材・学習スケジュールについても具体的に学びました。
テストは穴埋め20問&説明約10問と多く、解き終わったのが終了チャイムと同時でした…((;´д`))ヒー
3限:現代日本語研究3
日本語の音声を学ぶN先生の授業。
IPA(国際音声字母)に基づき、[i,e,a,o,u]の母音や[p,b][k,g][s,z]などの子音の、日本語における発音特徴・規則を勉強しました。
授業自体は少し退屈でしたが、勉強していくうちに音声学に興味をもってきてしまい、もしかしたら卒論のテーマを浮気しちゃうかもしれません…(;´∀`)笑
テストは簡単な穴埋めと、「無声母音について」の説明だけでした。
《21日(木)》
3限:言語学概論
またN先生の授業で、日本語にとらわれず世界の諸言語の性質を見出だすもの。
テストは事前に内容を教えて下さっていて、私は、
「ラングとパロールの違い」
「言語の二重文節性」
「意味の上下関係・反義関係」
について選択して論述しました。
4限:現代日本語研究2
またまたN先生の授業で、日本語の語彙・構成を学ぶというもの。
テストは「合成語・派生語」を抜き出す問題や、「『鉛筆』を例に上位語・同位語について述べよ」「『本』『匹』のような助数詞の音規則」といった比較的簡単な問題だけしか出ませんでした。
しかし、ここでアクシデント!
全部解き終わって「よし、早めに提出してすぐ帰ろう」と席を立とうとしたら………
…1問解き忘れているのを発見\(^o^)/オワタ
急いで裏に書き足しました(;´∀`)
《22日(金)》
2限:中国文学講義
一番自信のない科目です…。
テストは3題論述で、初め2題はちゃんと書けましたが、3題目の「隠逸」の自由論述がボロボロ。
全然わからなかったので、後白河天皇・後水尾天皇の早期譲位、承久の乱の3上皇の失脚などに関連して述べました。(←本当に意味は合っているのでしょうか)
4限:日本文学講義2
『古事記』『日本書紀』の神話を扱う、S先生の授業。
日本人として、皇室のルーツに繋がるとされる自国の神話をきちんと理解することは大切ですよね。
テストは、「天の石屋戸(あめのいわやと)」物語や「農耕起源説」の説明問題です。
「天の岩屋戸」物語は、太陽神・天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、弟・須佐之男命(スサノヲノミコト)の乱暴狼藉に堪えかね、「天の石屋戸」の中に隠れてしまい、世界が真っ暗になる……という内容です。
あまりにも有名ですから、説明は不要ですかね。
《23日(土)》
1限:英語R(上級)
英語の歌を覚える授業。
今回は、「ウェスト・サイド・ストーリー」から4曲、「美女と野獣」から1曲出題されました。
一年間この授業を受けて、英語の歌詞から自然な英語表現や語彙を少しは身につけられるようになった気がします。
以上、9科目が後期テストでした!
テストを終えていつも思うのが、やはり学習院の授業は質の高いものばかりであるなということです。
私の所属する日本語日本文学科は、名前のとおり「日本語学」「日本文学」、さらに「日本語教育学」も学べるようになっています。
私は日本語学に興味がありますから、私立大学にありがちな文学主体の「日本文学科」「国文学科」では満足できなかったに違いありません。
日本語学・日本語教育学研究の第一人者が多数教鞭をとられる、この日本語日本文学科で勉強できることが幸せです(´∀`)
もちろん、その他の学科にも優秀な先生がたくさんいらっしゃいますよ!
受験生で、このブログをご覧の方には、胸をはって学習院大学をオススメします。
一緒のキャンパスで学びませんか!?
それでは、失礼します。
2009.12/20 [Sun]
奉祝 彬子女王殿下

本日は、彬子女王殿下(あきこじょおうでんか)の28歳の御誕生日です。
殿下は寛仁親王殿下の第一女子で、大正天皇の曾孫にあたります。
また、前首相・麻生太郎氏の姪にもあたります。
昭和56年(1981年)12月20日、寛仁親王殿下と信子妃殿下のご長女としてお生まれになった、彬子女王殿下。
学習院女子高等科をご卒業後、平成12年(2000年)4月に学習院大学文学部史学科に進学されました。
大学を卒業されてからは、オックスフォード大学で日本美術を研究なさり、修士の学位を取得されています。
皇族として、日本の芸術・文化を日々研究し続けていらっしゃる殿下を、我々国民は応援申し上げます。
彬子女王殿下のご健康をお祈りし、御誕生日をお祝い申し上げます。
失礼します。
(※参考)
大正天皇
↓
三笠宮殿下
↓
寛仁親王殿下
↓
彬子女王殿下
2009.12/13 [Sun]
【3】東別館
こんにちは。神州男児です。
第3回、キャンパス紹介をいたします!
今回は「東別館」です。

東別館(ひがしべっかん)は、大正2年(1913年)に「皇族寮」として建てられました。
現在の学習院と比べ、戦前の学習院には皇族方が多数在籍していらっしゃいましたから、ご通学の便や、共同生活を体験して頂くために、寮生活が推奨されていました。
大正天皇の第2皇男子・秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう)や、山階宮武彦王(やましなのみや たけひこおう)も、この皇族寮で生活されており、その部屋は今もなお教室として使われています。
この東別館は、間違いなく学習院の古き面影を残している建物の一つと言えますが、学生からの評判はあまり宜しくないのですよね…(^-^;)
その大きな理由が、
「トイレの水洗レバーが ひ も 」
だからだとか。
…私は東別館を教室として使ったことはございませんので分かり兼ねますが、趣のあるトイレで非常に良いと思います(*´д`)
まだ水洗なだけマシではないでしょうか。もし、昔ながらの汲み取り式だったら(ry
東別館は正門からも近く、外観の見学なら簡単にできます。
当時から変わらぬその木造建築を見て、約1世紀前の「学習院」を堪能するのもよいのではないでしょうか!?
それでは、ごきげんよう。
第3回、キャンパス紹介をいたします!
今回は「東別館」です。

東別館(ひがしべっかん)は、大正2年(1913年)に「皇族寮」として建てられました。
現在の学習院と比べ、戦前の学習院には皇族方が多数在籍していらっしゃいましたから、ご通学の便や、共同生活を体験して頂くために、寮生活が推奨されていました。
大正天皇の第2皇男子・秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう)や、山階宮武彦王(やましなのみや たけひこおう)も、この皇族寮で生活されており、その部屋は今もなお教室として使われています。
この東別館は、間違いなく学習院の古き面影を残している建物の一つと言えますが、学生からの評判はあまり宜しくないのですよね…(^-^;)
その大きな理由が、
「トイレの水洗レバーが ひ も 」
だからだとか。
…私は東別館を教室として使ったことはございませんので分かり兼ねますが、趣のあるトイレで非常に良いと思います(*´д`)
まだ水洗なだけマシではないでしょうか。もし、昔ながらの汲み取り式だったら(ry
東別館は正門からも近く、外観の見学なら簡単にできます。
当時から変わらぬその木造建築を見て、約1世紀前の「学習院」を堪能するのもよいのではないでしょうか!?
それでは、ごきげんよう。







授業をする分には問題は無いのですが、他の教室とのギャップは激しいかも知れませんね。
特に最近は新しい教室棟がいろいろ出来ているみたいですし。
懐かしさいっぱいでコメント致しました。